「時間」について考えさせられた2017年

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以下は今年のクリスマスカードに同封した手紙です。

今年も残すところわずかばかりとなりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。

6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。

もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。

確かに、今年は仕事も趣味も徹底できた一年でした。仕事の面では、転職してからまだ一年半とは思えぬほど新職場に馴染むことができましたし、プライベートな面では、冬には将棋合宿への参加、春には8年ぶりのブログの一新、秋には大津での選挙運動などを通じて満喫できました。

しかし、そんな一年を過ごして感じたことは、「時は金なり」とは言うものの、時間はいくらあっても足らない、ということでした。やり遂げたいにもかかわらず着手できていないことは尽きないほどあり、いくら充実した毎日を送っても、結局最期にはやり残したことが出てきてしまうのは致し方ないのかな、とどこか人生を悟ったような気になってしまうことがよくありました。

裏を返せば、そういった気持になるのは、毎日を全力投球で生きているつもりでも、後悔のないようにやりたいことをやり抜いていく意志がまだまだ足りない、という事でもあるのかと思います。

「時間」というものは、戻すことはできなくても増やすことはできる、と私は思っています。これは、睡眠時間を削って無理をするということではなく、常に時間を有意義なことのために効率よく活用するという意味で、それは、一時一時を、楽しく面白く生きていくだけではなく、「何か」に向けて過ごしていく、ということでもあります。

振り返ってみると、2017年はもっぱら「時間」について考えていたように思いますが、沈思黙考は私の性に合いません。この一年の熟慮をバネにし、2018年はより活発的な年にしていきたいと思います。

それでは皆さま、どうぞ良い新年をお迎えください。

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