外国法事務弁護士という、日本の弁護士社会への裏口入学

僕は「外国法事務弁護士」、通称「外弁」と呼ばれる資格を有している。これは俗に言う「国際弁護士」に最も近い正式な国家資格なのだが、大きく名前負けする資格でもある。

外弁がどういった資格であるかというと、これは海外の弁護士資格を保有している者が日本で活動するための資格である。言い方を変えると、僕のような日本の司法試験には到底受からない者が、日本国内の日本人・日本企業向けに、大半の日本人・日本企業にとっては何の縁もない外国の法律に関する法的アドバイスを提供するための資格だ。当然のことながら需要はあまりない。

「海外の弁護士資格」というと聞こえはいいが、僕の場合、これは米国のニューヨーク州とニュージャージー州の弁護士資格を指す。はっきり言ってそれほど感激するほどのものではないのだ。

というのも、米国の司法試験は英語さえできれば大抵は受かる。数字的に言えば、米国弁護士協会(American Bar Association)が認定するロースクールを卒業し、英語がネイ ティブレベルで読める・書ける受験者がニューヨーク州の司法試験を初めて受けた場合、合格率は毎年85%弱。さすがの僕でも受かる確率である

一方、昨年の日本の司法試験の合格率は23%で、年々低下している。これでも高い方で、法科大学院制度ができる前は毎年2%だった。日本の弁護士はこの狭き門をくぐって弁護士になっているので、さすがナルシストの僕も、日本の弁護士になる難しさと米国の弁護士になる難しさには大きな差があることは認めざるを得ない。

もっとも、日本の一般の人はこのギャップを知らないので、外弁でも弁護士は弁護士、と考えてくれる。日本での弁護士の地位を考えるとこれは何ともありがたい誤解であり、この買い被りが僕を米国に戻る気に一向にさせない大きな理由の一つとなっている。

何せ、米国では弁護士ほど嫌われている職業はないのだ。あえて挙げるなら、政治家ぐらいだろうか。あふれ返っている弁護士が社会問題化している始末なので、僕は米国に住んでいた頃、弁護士になってよかったと思ったことがなど一度もなかった。

日本の人に僕のニューヨーク勤務時代について語ると、どうやら誰しもがだいぶ華やかな姿を思い浮かべるようなのだが、米国時代、僕が飲み会などの自己紹介の場で職業を述べると、「お前もか」みたいな感じで顔をしかめられるのがざらだったので、最後の頃は職業を極力隠していた。

日本とはえらい違いである。

日本では弁護士と言えば尊敬される職業のトップ5 に必ず入るほど地位が高い。日本に戻って来てからは外弁であろうとれっきとした弁護士と同じように扱われることになり、職業を名乗るのが恥ずかしい世界から「先生、先生」とちやほやされるようになったわけである。いい気になっても仕方ないであろう。

僕がニューヨーク州弁護士になった年、1万人以上が同じくニューヨーク州の司法試験に受かり、同じく弁護士になった。1万人である。

僕はほぼ確実に、その1万人の中でも有数の恵まれた環境で「弁護士」として活動できている。これも全て、「外弁」というありがたい資格を通じて日本のエリート社会へ裏口入学できたおかげである。

 

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