傘という恐怖

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この度3ヶ月ほど米国勤務になったのだが、そのことを周囲に伝えると、数人からこんな質問を受けた。

「米国では傘を差さないって本当ですか」

アメリカに関して特に知りたいことがこれ?と拍子抜けしてしまうほど意外な質問であるが、どうやら多くの日本人には、雨が降っていているのに傘を差さないという行為が、全くもって理解し難いものであるらしい。

実際、傘を差さないで雨の中を歩くニューヨーカーはよくいる。

なぜと聞かれても説明に困ってしまうのだが、自分の感覚から言わせてもらうと、僕は別に水に当たると溶けてしまう「オズの魔法使い」の悪い魔女ではないのだから、小雨程度なら、何もわざわざ傘を持ち歩いて荷物を増やさなくてもいいのではないか、と考えるのだ。

もっとも、僕の感覚がどれほど一般的な米国人の感覚と一致しているかは微妙である。なにせ僕には、少年時代から引きずっている傘に対する深刻なトラウマがあるのだ。

僕が日本の小学校に通っていた頃、良き母は、家を出るときに雨が降っていれば当然傘を渡してくれ、天気予報が午後には雨が降ると言っている場合も傘を持たせてくれた。

小学校への通学ルートは、徒歩7分程、JR線1駅、そしてバス12分の約20分。小学生にとっては結構長い道のりである。それを、今と変わらぬ感じでボーッとフラフラしながら通っていたので、万一雨が止んだり降らなかったりすると、以下のような予想通りの顛末となる。

⑴ 傘をバスに置き忘れる

⑵ バスの営業所から母に連絡がある

⑶ 母が激怒する

したがって、小学時代の僕の頭の中には「傘=母の逆鱗」という方程式が成り立っており、大人になった今でも、傘に対して抱く恐怖心は一向に変わらない。

そんな僕にとって、少々の雨が降っても傘を差さないことが珍しくない米国の大学キャンパスやニューヨーク市は、なんとも居心地の良いところであった。雨など、土砂降りでもない限り、ジャンパーを羽織り野球帽をかぶれば凌げるのだ。

それが、日本に帰国してからはそうはいかなくなった。どういうわけか日本国民はちょっとでも雨が降れば傘を差すことを好むので、日曜日の銀座で、小雨以上、土砂降り未満の雨が降っているときに傘を差していないと、自分がとにかく目立っていることを自覚せざるを得ない。

普通な日本人であることを自負している僕としては、こんなことで変人とみなされるのは不本意である。したがって、最近の僕は、出かける際に雨が降りそうな雰囲気であれば、傘を持っていくようにしている。

ただ、これは結構気が張ることだ。店を出るとき、バスを降りるとき、傘を忘れないようにと常にピリピリしている。飲み会後、ぐでんぐでんに酔って電車の中で寝てしまっても、下車するときだけは傘と母の怒りを思い出して覚醒する。

というわけで、来月から米国で働くことにより、日本食が食べれられないや将棋ができないなど不自由が発生するが、雨と傘に限って言えば、数年ぶりに心が休まることを楽しみにしている。

 
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